スキップしてメイン コンテンツに移動

【日常】 土俵で争われる問題は1つのみで十分だ

時に人と人とのコミュニケーションにおいて持ち上がったAという問題とBという問題はまったく違う土俵で争わなければならないのに
人間というのはAを指摘されてしまうときに Bという問題を使うことでAという問題をもみ消せるなどという場合
それを問題というカテゴリーではなく”技”というカテゴリーに分類して同じ土俵に持ち込む事があると思う。

これは私にも言えていて、例えば 私が誰かの何かを食べてしまったという現状があったとして
それを指摘されてしまった場合に いやいや あなたは前回私のを食べたでしょう?と言い返す事。


こういう取引が必要なことだってあるとは思うけれど、本来はAとBはやっぱり同じ土俵で争われてしまった場合、Aという問題もBと言う問題も解決という形には至らず、うやむやになるか もしくは新たなCという問題が発生してしまうか。時にはうまくAもBもCですらも解決する事もあるかもしれないけれどそれはカナリ難しい。

水掛け論ってあるけれど あれは結局 そのAという問題が結果 BやCやDやEとなり いつまでも延々と論争されることであるわけで、鮮明な解決法のように私は思えない。

でも実際 冷静な状況下において私はこうだという考えがあったとしても いざ 争いという場に自分の身がおかれてしまった場合において この判断の元に行動できるのか?って言われるとこれまたなかなか難しいわけで。

人と人とのコミュニケーションにおいてこのような事を、どんな状況におかれても 冷静に判断する事ができれば無駄な労力をお互い使うこともなく スマートに問題を解決していけるのだろうと思う。


この考えがあってるのか間違っているのかはよくわからないけれど
私がよりよい人間関係を構築していくためには、これをいつも意識していく必要があると思う。
私自身がなりたい自分になるために、自分自身を向上させるためにはきっと必要。

己を責めて人を責めるなとはよく言ったものだと思う。
人を責めれば、問題以外のほかの問題を探そうと いかに自分が優位に立てるかと 人の荒さがしに転じてしまうものだから。
人の荒さがしをしたって自分の得にも損にも正直なりもしない。
それより相手の良いところを探すほうがきっと自分にとっても相手にとってもそれはよい影響しか残さないのではないかと思う。

ま、そんな変な事を思ってしまったのは実はなんてことない サラリーマン川柳の中にいくつか見つけた夫婦ネタの川柳があまりに悲しいものだったからなんだけどね 笑

その中の川柳のひとつにあったのは

「離さない 10年たつと 話さない」

あたしは 「離さない 10年たっても 離れない」でいたいもんだ

コメント

  1. あのサラリーマン川柳ってなんか好きになれないわあ。
    私が夢想家なだけかもしれないんだけど、あれってなんか毅然とした所が無くてそれでいて昔の流行歌にあったような哀愁のあるニヒリズムも無くて。
    そういうものが日本から消えていってるのかもしれないねー。

    返信削除
  2. うんうん あたしもあんまり好きじゃないんだ~
    なんだかなぁ~と思えるものというか はじめっからネタというか 美徳というものに欠けてる気がしちゃうよ

    返信削除

コメントを投稿