昨日は沖縄のム~チ~ビ~サ(鬼餅寒)でした^^
小さなころからこの日には月桃の葉にくるんだ餅(ム~チ~)を年の数だけ食べるのが楽しみでした♪
ムーチービーサの頃ってのはもっとも沖縄が寒い頃でこのムーチービーサを超えるとだんだんと暖かい日になっていくという感じです。
現在ではム~チ~を自宅で作るという家もほとんどなくなり、スーパーに特設ムーチーコーナーみたいなものが設けられて、そこでいくつかのム~チ~を購入して食べるというのがほとんどだと思う
私は運良く20歳ころに、当時付き合っていた彼氏のお婆さんからム~チ~の作り方を伝授してもらった
このシーズンになるとそのキヨおばあちゃんを思い出します。
残念な事にキヨおばあちゃんは去年 天国にいっちゃったんだ。
ムーチーを作る前の日には庭で力強く生えている月桃の葉を前の晩で刈り入れておいて綺麗にあらってお水の入ったバケツにいれておきます。
ムーチーシーズンになるとお婆さんを手伝って ドリフターズがコントで使うようなタライにもち粉をいれて少しずつお水を流し込みダイナミックにコネコネ!
キヨお婆さんは「この時、焦って一度にお水を流し込んだら絶対だめよ」とか、「こねるのをめんどくさがったらモチがあまり美味しくなくなってしまうよ」とかいろいろ教えてくれた。
こねた餅は、作る種類分に大きく分けて、黒糖味のム~チ~には黒糖をまぜコネコネ これは綺麗なチョコレート色になる。
そしてプレーンは普通のお砂糖
カボチャをふかしてから、細かくペーストにしたやつとお砂糖をまぜた カボチャム~チ~
これはスゴク綺麗な黄色になるんだ。
ピンクの餅は子供が大好き これはお砂糖と食紅
そして綺麗な紫色の紫芋のム~チ~
キヨおばあちゃんは毎年この5種類のム~チ~を作る。
こねた餅を一つづつ 綺麗にあらっておいた月桃の葉にひらべったく並べてから包んで蒸し器へ
毎年 近所や親戚、家族と配るから作る量も半端じゃなくて300個とか作る。
月桃の葉のとてもいい匂いと甘いおもちの匂いが一日中 部屋を満たしてたなぁ。。。
今思うと、私はいろいろ、このキヨおばあちゃんに教えてもらったなぁって思う。
私の実のおばあちゃんはお金持ちの家に生まれ育って畑仕事などは経験したことすらなくて、俳人でどちらかというと歌会とかお茶とかそういう方面の知識が豊富な人で作法なんかにはうるさい人だった。だから文学とかそういう事に関しては学ぶ事はあったけれど、それはそれでとてもよかったけれど でもキヨおばあちゃんは 田舎の家に生まれて子供の頃から親の手伝いをして汗水ながして働いてきたおばあちゃんだった。
はじめの頃はキヨおばあちゃんがいってる事がうるさいなーと思うことも正直あったんだ
ネギの根っこを包丁で切ったときに、そんなふうに大きく切ってすてたら勿体無いとか、畳のお掃除をするときは最初に固く絞った雑巾でふかなきゃだめだとか。
カマで庭の草刈りの方法とかね 笑
当たり前のことなのかもしれないけれど、でも本当 学ぶことが結構多かったと思う。
家のおばあちゃんは方言を全く話さないけどキヨおばあちゃんはいつも方言まじりでよく私は笑われてたっけ・・
”えり~タマナ~を切って頂戴~” ”え?!たまな・・たま・・・” ”あんたは沖縄の人なのにタマナ~もわからないの!笑 キャベツでしょ!”みたいな感じ。
毎日欠かすことなく、お昼には近所の老人たちと一緒にゲートボール
私もたまに、キヨおばあちゃんに頼まれて、野菜の天ぷらとかを作ってその場所に持っていってオジーとかオバーと話す機会も多かった。21・22才の若い頃なんてそんな場所でそういう機会を持つこと自体がなかなかないことだから 今、思い返すと本当に私はキヨオバーちゃんに会えたことをよかったなって思う。
もうキヨおばあちゃんは居ないけれど、でも何時までも私の中にあのキヨオバーちゃんのム~チ~は生きている。まだまだキヨオバーちゃんほど上手くム~チ~は作れないけど 私もそれをいつか誰かに教えてあげれたらいいのにな。
キヨおばあちゃん、ありがとうございました。
小さなころからこの日には月桃の葉にくるんだ餅(ム~チ~)を年の数だけ食べるのが楽しみでした♪
ムーチービーサの頃ってのはもっとも沖縄が寒い頃でこのムーチービーサを超えるとだんだんと暖かい日になっていくという感じです。
現在ではム~チ~を自宅で作るという家もほとんどなくなり、スーパーに特設ムーチーコーナーみたいなものが設けられて、そこでいくつかのム~チ~を購入して食べるというのがほとんどだと思う
私は運良く20歳ころに、当時付き合っていた彼氏のお婆さんからム~チ~の作り方を伝授してもらった
このシーズンになるとそのキヨおばあちゃんを思い出します。
残念な事にキヨおばあちゃんは去年 天国にいっちゃったんだ。
ムーチーを作る前の日には庭で力強く生えている月桃の葉を前の晩で刈り入れておいて綺麗にあらってお水の入ったバケツにいれておきます。
ムーチーシーズンになるとお婆さんを手伝って ドリフターズがコントで使うようなタライにもち粉をいれて少しずつお水を流し込みダイナミックにコネコネ!
キヨお婆さんは「この時、焦って一度にお水を流し込んだら絶対だめよ」とか、「こねるのをめんどくさがったらモチがあまり美味しくなくなってしまうよ」とかいろいろ教えてくれた。
こねた餅は、作る種類分に大きく分けて、黒糖味のム~チ~には黒糖をまぜコネコネ これは綺麗なチョコレート色になる。
そしてプレーンは普通のお砂糖
カボチャをふかしてから、細かくペーストにしたやつとお砂糖をまぜた カボチャム~チ~
これはスゴク綺麗な黄色になるんだ。
ピンクの餅は子供が大好き これはお砂糖と食紅
そして綺麗な紫色の紫芋のム~チ~
キヨおばあちゃんは毎年この5種類のム~チ~を作る。
こねた餅を一つづつ 綺麗にあらっておいた月桃の葉にひらべったく並べてから包んで蒸し器へ
毎年 近所や親戚、家族と配るから作る量も半端じゃなくて300個とか作る。
月桃の葉のとてもいい匂いと甘いおもちの匂いが一日中 部屋を満たしてたなぁ。。。
今思うと、私はいろいろ、このキヨおばあちゃんに教えてもらったなぁって思う。
私の実のおばあちゃんはお金持ちの家に生まれ育って畑仕事などは経験したことすらなくて、俳人でどちらかというと歌会とかお茶とかそういう方面の知識が豊富な人で作法なんかにはうるさい人だった。だから文学とかそういう事に関しては学ぶ事はあったけれど、それはそれでとてもよかったけれど でもキヨおばあちゃんは 田舎の家に生まれて子供の頃から親の手伝いをして汗水ながして働いてきたおばあちゃんだった。
はじめの頃はキヨおばあちゃんがいってる事がうるさいなーと思うことも正直あったんだ
ネギの根っこを包丁で切ったときに、そんなふうに大きく切ってすてたら勿体無いとか、畳のお掃除をするときは最初に固く絞った雑巾でふかなきゃだめだとか。
カマで庭の草刈りの方法とかね 笑
当たり前のことなのかもしれないけれど、でも本当 学ぶことが結構多かったと思う。
家のおばあちゃんは方言を全く話さないけどキヨおばあちゃんはいつも方言まじりでよく私は笑われてたっけ・・
”えり~タマナ~を切って頂戴~” ”え?!たまな・・たま・・・” ”あんたは沖縄の人なのにタマナ~もわからないの!笑 キャベツでしょ!”みたいな感じ。
毎日欠かすことなく、お昼には近所の老人たちと一緒にゲートボール
私もたまに、キヨおばあちゃんに頼まれて、野菜の天ぷらとかを作ってその場所に持っていってオジーとかオバーと話す機会も多かった。21・22才の若い頃なんてそんな場所でそういう機会を持つこと自体がなかなかないことだから 今、思い返すと本当に私はキヨオバーちゃんに会えたことをよかったなって思う。
もうキヨおばあちゃんは居ないけれど、でも何時までも私の中にあのキヨオバーちゃんのム~チ~は生きている。まだまだキヨオバーちゃんほど上手くム~チ~は作れないけど 私もそれをいつか誰かに教えてあげれたらいいのにな。
キヨおばあちゃん、ありがとうございました。
あ、これは私も食べたことあるわあ。市場通りで買ったやつだけどね。
返信削除そうかあ、年の数だけ食べるってお腹パンパンになりそうだけど子供だけかな。
良い人にめぐり会えてそれがえりさんの財産になってるねー。
そうやって伝統が受け継がれてゆくのってすごく素敵なことだと思う。
Eikoさん いらっしゃい^^
返信削除そうだね ム~チ~は今では観光客の人たちへのおみやげとしても売られてるみたいだね。
子供の頃はね ム~チ~の日になるとたくさんあるム~チ~を自分の年の分だけ(だいたい10歳くらいまでの話だから多くても10個ね)紐に縦に吊るしてもらうのね。それを壁にかけといて1日1つとか食べていくんだよ 笑 きっと一度にたくさん食べてはいけないとかって事だったのかな 笑 もちろん大きくなってからは年の分なんて食べないよ 今の私だったら39個も食べなきゃいけなくなっちゃう。゚(゚ノ∀`゚)゚。アヒャヒャ
そうだよね 伝統とかってそんな風にお年寄りから若い人へと受け継がれていく 伝えようって意気込んで伝えるわけでもなく日常のなんてことない日々の中からきっと学んでいくことだと思うんだ。でも今はもう大家族なんてのもあまりなくて、なんでも便利になっちゃってきっとそういうのも薄れていっちゃってるのかもしれないね。今回は黒糖と紅芋(読谷紅芋)とプレーンの3種類だけしかつくれなかったけど 美味しく食べたよ^^ もちろん年の数は食べていません 笑