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【日常】 ミシンの思い出

小さい頃の思い出の中に思い出したいのに、はっきりとは思い出せない事が幾つかあります。


その中の1つは、私が小学校の4年生の頃のこと。


当時、私たち家族はとあるアパートの二階に暮らしていて、その階には確か、部屋は全部で4つ。

私たちの部屋の隣には、当時 多分65~70歳くらいのおばあちゃんが一人暮らしをしていた。


どういう経緯で私がそのおばあちゃんの家に出入するようになったか 憶えてないけれど、確かに私はある一定時期、そのおばあちゃんの家に遊びにいく事を楽しみにしていた。


なぜならおばあちゃんのお家には、私が普段見慣れない不思議な物が沢山あったからだった

今、考えるとそれはどれも年代物の電化製品とか飾り物とかだったのだけど。。


そのおばあちゃんは裁縫がとても好きだったらしく 私の記憶のかけらの中にそのおばあちゃんが黒い古い足こぎ式のミシンをカタカタと動かしていたのを覚えてる。




それがあまりに楽しそうで私もやってみたくてたまらなくて、おばあちゃんにいろいろ教わった。


そんなある日 おばあちゃんが私にその古いミシンをプレゼントしてくれたんだ。。。


私は嬉しくて嬉しくてたまらなくて それからしばらくは学校から戻るとすぐにミシンの前に座って、はぎれやら何やらとにかく何でもかんでも そのミシンで縫っていたのを覚えてる。


ボビンをボビンケースにいれて、カチャっとはめて、ゆっくりくるくると右側にあるハンドルのようなものを手で動かしながら針でボビンの下糸を引っ張る。 布をセットしたらガチャンと留め金をおろして足で足ふみの部分を動かすと針は軽快に布の上をはっていく。


最初はなかなか上手に出きなくて、でも何度も何度もやってうるちに リズムみたいなものを覚えた。


あのおばあちゃんとの思い出はここで途切れている。

その後 たしかあの家は空室になったんだ。私はお婆さんにちゃんとお別れをいったのかな。。。


あのミシンはかなりの年代物なのにすっごく手入れが行き届いていてサビ一つなかった。

ボビンケースもボビンですらもピカピカだった。


あれから私はどんどん成長して その後引っ越しを重ねたりしていくうちに あのミシンも一体どうなったのかよくわからないまま(記憶がないんです)


今になってすごく思うのは

あのミシンはきっとお婆さんの一番の宝物だったんだと思う。

それを私に譲ってくれて、どうしてもっともっとあのミシンをお婆さんくらい大切にしなかったのだろうって今になって思ったりする。それにどうして私はあまりにも記憶が曖昧になってしまったのだろう。


最後にお婆さんにさようならを言えたのか。。。


思い出したいのに思い出せない。


お婆さん 有難うって本当に思う。きっととても可愛がって貰った


それが私の思い出したいのに思い出せない思い出の一つ

コメント

  1. えりさんも何度も引越ししてるのね。私も通算で10回以上家変わってるよ。
    なんか共感するわー。
    私も今まで引越しでいろいろ捨ててしまったりしていろいろ失くしてるもの。
    でも良い隣人のお婆さんに出会えてよかったね、えりさん。

    返信削除
  2. EIKOちゃん いらっしゃい^^
    うん、引越し,転校といっぱいしたよ。
    引越しはさ 新鮮な気持ちにもなるけれど なんだか何かを置いていくようで寂しい気持ちにもなるよね。
    あのお婆さんと出会えた事は良かったと思う。だけどもっと覚えていたかったな

    返信削除

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