私は小さい頃から、絵を描くことが好きです。
絵を描くなんて言っちゃうと何だかすっごいものを描いちゃいそうだけど、そんな技量はなくって
言ってみればノートの端っこに描くような落書き・お絵かき そんな絵を描くのが好きです。
ふと、どうして私は絵を描くのだろう?なんて時折考える事があります。
何気なくTVを見ながら、音楽を聞きながら、気がつけば スーパーのチラシの裏やらノートやら らくがき帳やらに何かしらごちゃごちゃと絵を描いています。
絵を描いている時の自分は不思議な事に、ここではない世界に意識だけがふっとんでいて、私の絵の中に現れたその住人と会話をしているような錯覚に陥ります。
だからその時の自分の精神状態によってはとんでもない絵を描いてしまっていたり、後で自分の描いた落書きを見て、なんて絵を描いちゃってるんだ!?と驚かされるものもしばしば・・・
私ってすっごくわかりやすい人間かもしれないですね 絵を見れば あ~今、こいつ病んでるな!とかこいつ、今すっげ幸せなんちゃうのん?とかばれちゃうんだから 笑
小学校時代の好きな授業は図画 私がとても好きだったのは何か本を読んでその感想を絵にしなさいなんていうような授業が大好きでした。
(反面、嫌いだったのは模写、模写が好きならもう少し絵の技術が向上していたのかな。。。)
お友達の顔を描きましょう~~~!なんていう事やどこか好きな場所でその風景を描きましょう~なんていうのは正直、好きではありませんでした。
今でも思い出すのは、小学校の高学年の写生大会の時に私の描いた絵の下絵を先生がとても気に入ってくれて、その絵をコンクールに出そうということになったのですが、私の描いた絵ののアングルを少し上に上げた方がいいという先生の忠告を受けました。
なぜなら私がその時、描いていた風景画は石垣のある瓦屋根のある風景で 先生はその石垣と赤瓦の家、そしてバックの青空を描いているのだと勘違いしていたからのようでした。
でも本当は私の描いた絵の中心は石垣でもなければ 赤瓦の家でもなく 青空なんかでもなく それは風景画を描くという授業だったからそこに描いただけのいわばオプションのような物でしかなくて 実際に中心に描いていたのは石垣の下の方に不思議と崩れることなく、上手いバランスでそこだけ石がぬけてしまった穴だったからです。
その穴はとても絶妙なバランスで石が抜けていて遠くからみると、そこだけなんだか違う空間が穴の中に存在しているみたいで、そこから少し目を離した瞬間、息を飲むくらい驚くような何かが飛び出してきてたりするんちゃうか!
と私にとってはすごく不思議で魅力的でした。
勿論、下絵から出来上がりまで私がアングルを変えるはずもなく、
私のその絵はコンクールに出されることはありませんでしたが 笑
空想の世界 自分の中にだけ存在するような実態の見えないもの
それらを白い紙に描くという事によって、私はまるでそれがそこに存在するかのように彼らとお話ができるような気持ちになります。
だからきっと私が絵を描くのは、勿論 絵を描くことが好きだからでもありますが、絵を描きながらそこに現れた私の心の中の誰かさんに出会えることが楽しくて 絵を描いているのかな?なんて思いました。
絵を描いている途中、上手くいかず 中途半端になってしまった人物画等は何だか自分の手でその人を抹殺してしまったような罪悪感さえ覚えます。
上手いとか下手くそ!とかは正直、どーでもよくて ただ悔しいのは私の頭の中の世界を白い紙いっぱいに表現したくても上手く表現が出来ないとき、それが何より辛いです。
ウーン なんか言ってること変かしら? 笑
絵を描くなんて言っちゃうと何だかすっごいものを描いちゃいそうだけど、そんな技量はなくって
言ってみればノートの端っこに描くような落書き・お絵かき そんな絵を描くのが好きです。
ふと、どうして私は絵を描くのだろう?なんて時折考える事があります。
何気なくTVを見ながら、音楽を聞きながら、気がつけば スーパーのチラシの裏やらノートやら らくがき帳やらに何かしらごちゃごちゃと絵を描いています。
絵を描いている時の自分は不思議な事に、ここではない世界に意識だけがふっとんでいて、私の絵の中に現れたその住人と会話をしているような錯覚に陥ります。
だからその時の自分の精神状態によってはとんでもない絵を描いてしまっていたり、後で自分の描いた落書きを見て、なんて絵を描いちゃってるんだ!?と驚かされるものもしばしば・・・
私ってすっごくわかりやすい人間かもしれないですね 絵を見れば あ~今、こいつ病んでるな!とかこいつ、今すっげ幸せなんちゃうのん?とかばれちゃうんだから 笑
小学校時代の好きな授業は図画 私がとても好きだったのは何か本を読んでその感想を絵にしなさいなんていうような授業が大好きでした。
(反面、嫌いだったのは模写、模写が好きならもう少し絵の技術が向上していたのかな。。。)
お友達の顔を描きましょう~~~!なんていう事やどこか好きな場所でその風景を描きましょう~なんていうのは正直、好きではありませんでした。
今でも思い出すのは、小学校の高学年の写生大会の時に私の描いた絵の下絵を先生がとても気に入ってくれて、その絵をコンクールに出そうということになったのですが、私の描いた絵ののアングルを少し上に上げた方がいいという先生の忠告を受けました。
なぜなら私がその時、描いていた風景画は石垣のある瓦屋根のある風景で 先生はその石垣と赤瓦の家、そしてバックの青空を描いているのだと勘違いしていたからのようでした。
でも本当は私の描いた絵の中心は石垣でもなければ 赤瓦の家でもなく 青空なんかでもなく それは風景画を描くという授業だったからそこに描いただけのいわばオプションのような物でしかなくて 実際に中心に描いていたのは石垣の下の方に不思議と崩れることなく、上手いバランスでそこだけ石がぬけてしまった穴だったからです。
その穴はとても絶妙なバランスで石が抜けていて遠くからみると、そこだけなんだか違う空間が穴の中に存在しているみたいで、そこから少し目を離した瞬間、息を飲むくらい驚くような何かが飛び出してきてたりするんちゃうか!
と私にとってはすごく不思議で魅力的でした。
勿論、下絵から出来上がりまで私がアングルを変えるはずもなく、
私のその絵はコンクールに出されることはありませんでしたが 笑
空想の世界 自分の中にだけ存在するような実態の見えないもの
それらを白い紙に描くという事によって、私はまるでそれがそこに存在するかのように彼らとお話ができるような気持ちになります。
だからきっと私が絵を描くのは、勿論 絵を描くことが好きだからでもありますが、絵を描きながらそこに現れた私の心の中の誰かさんに出会えることが楽しくて 絵を描いているのかな?なんて思いました。
絵を描いている途中、上手くいかず 中途半端になってしまった人物画等は何だか自分の手でその人を抹殺してしまったような罪悪感さえ覚えます。
上手いとか下手くそ!とかは正直、どーでもよくて ただ悔しいのは私の頭の中の世界を白い紙いっぱいに表現したくても上手く表現が出来ないとき、それが何より辛いです。
ウーン なんか言ってること変かしら? 笑
うんうん、それってなんかわかるよー。
返信削除私も中学の写生大会で公園にみんなで行ったんだけども他のみんなが風景を描いてる中、一人だけ画用紙いっぱいに街灯のアップを描いたりしてたよ。
担任の先生からはよく言われなかったけど、美術の先生には褒めてもらったからこれでいいのだ。
画用紙いっぱいの街灯か~ 見てみたかったな
返信削除EIKOちゃんが前にプレゼントしてくれたライトを何となく思い出していたよ。
普段 当たり前で見慣れている景色の中で何か不思議と惹かれるものを見つけたときって、まるでそこが初めて訪れた場所かのような錯覚さえ起こさせる時があるよね^^
あー、ほんとねー。私はそのころからずっと進歩してないのかもしれないなあ。
返信削除うんうん、ふと今まで気に留めてなかったものが気になり出す時あるね。なんだか不思議。
進歩していないのではなくて きっと大人になって いつの間にかどこかに置き忘れてしまうことが多いものをきちんと忘れずに持っているんだよ。
返信削除だからこそEIKOちゃんは とても魅力があって心惹かれる人物なんだと私は思うな