明日で日航機墜落事故から24年になるそうだ。
あれから、そんなにも月日が経ってしまったのかと思う。
当時の私は修学旅行が目前に迫る中学生だった。
遺族の方々には非常に申し訳ないが、当時の私達には死というものへの実感もまだ薄く、遠い地で起こった飛行機事故という感覚でしかなかった。
友達同士で、修学旅行の飛行機が日航機だった為、落ちたりしないか等と心もないような発言をしてしまっていた。
あの時、テレビはどのチャンネルも連日 そのニュースを伝えていた。
女の子が自衛隊の人に抱きかかえられながらヘリコプターでつるされている映像は、
とても心に強く残っている。
私に20歳になるまで、日航機墜落事故はそんな風に、悲惨な事故という認識だけしかなく、私の中ではいつの間にやら思い出す事もなかなかないような事柄になっていた。
しかし私は千葉県習○野駐屯地の第一空○団の方々との出会いによってこの事故について改めて考えさせられる機会を得たように思う。
日航機事故の墜落現場になった群馬県多野郡上野村の御巣鷹に最初に到着した部隊。
最初に到着したその場所のあまりの光景に生存者の見込みは無いに等しいと誰もが言葉には出さないが思えたそうです。
そこからまずは生存者の発見、遺体の発見など。。
ご遺族の事も考えると、私はその状態を細かく書こうとは思わないけれど、私が聞いたその話はどれも耳をふさぎたくなるような事だった。
そんな中、あの女の子をあの時抱き上げていた自衛官とお会いする機会があった。
あのような状況下、生存者という希望、彼はどんな気持ちで彼女を抱きかかえていたのだろう。
私は彼のその手を強く握り締めました。
それは、私が少なくとも前に他人事のように感じて、していた軽率な発言や人の命に対しての考えのなさ、なんだかそれをお詫びしたい気持ちからだった
しかし、日航機事故のお話しはしませんでした。
事故と言うのは、本当に予測不可能。
誰が自分がそれに遭遇することになると予測しただろうか?
落ちていく飛行機の中で必死に家族に遺書を書いた人たち。
最後まで よし!僕がんばるよ!と希望を失わなかった小さな少年。
遺族にとって24年という月日は、何の意味も持たず、
大切な人を失った傷は一生消えるものではないと思います。
明日で日航機事故から24年。
事故によって、天に召されてしまった方々へご冥福をお祈りいたします。
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